二子玉川の再開発の歴史|おしゃれタウンはどう進化した?

街の歴史と成り立ち

多摩川沿いに広がる洗練された街「二子玉川」。都内屈指の人気エリアとして知られていますが、
実はこの街は、長年にわたる再開発の末に現在の姿を手に入れたことをご存知でしょうか?
この記事では、二子玉川の再開発の歴史をたどりながら、その魅力がどう形成されたのかを紹介します。

戦後のベッドタウンから始まった二子玉川の歩み

二子玉川の開発は、1950年代に始まりました。
当時の二子玉川は、渋谷から電車でわずか20分の立地でありながら、自然が多く残る郊外の住宅地。
東急電鉄が開発を進め、沿線のベッドタウンとして徐々に住宅や店舗が増えていきました。

1969年には、「玉川高島屋ショッピングセンター」が誕生。これは日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターであり、当時としては画期的な施設でした。以降、二子玉川は「高級住宅街」や「おしゃれな街」としてのブランドイメージを築いていきます。

再開発の転機:2000年代の都市整備計画

本格的な「再開発」が始まったのは、2000年代に入ってからです。二子玉川駅の西側(世田谷区側)は、長らく再開発の空白地帯でしたが、2003年に「二子玉川東地区再開発準備組合」が結成され、本格的な都市再生プロジェクトがスタートしました。

東急不動産を中心とした開発事業者が参加し、「職・住・遊・学」を融合した次世代都市モデルを目指して再開発が進行。2008年には都市再生特別地区として正式に指定され、2011年には新たな商業施設「二子玉川ライズ」の第一期開業に至ります。

駅前再開発とブランド化

たまプラーザの特徴のひとつに、駅周辺の整備された街並みがあります。2000年代に入ってからも、たまプラーザ駅周辺の再開発は継続しており、特に2009年に「たまプラーザテラス」が開業したことで、商業施設としての魅力がさらに高まりました。

再開発ではバリアフリー化や歩行者導線の最適化、景観保全などにも配慮されており、子育て世代や高齢者にも暮らしやすい街づくりが進められています。結果として、たまプラーザは「閑静で上品な住宅街」というブランドイメージを確立し、現在も不動産価値が高く安定した人気を誇ります。

二子玉川ライズと街の変化

「二子玉川ライズ」は再開発の象徴とも言える複合施設です。ショッピングモール、オフィス、タワーマンション、映画館、子育て支援施設などが一体となった大規模開発で、まさに“新しい街”そのもの。

この開発により、若いファミリー層や共働き世帯が流入し、街の雰囲気は一気に活気づきました。また、IT企業の本社機能なども移転してきたことから、「職住近接」のモデルケースとしても注目を集めました。

環境と共生した都市づくり

再開発では、環境との調和も重要なテーマでした。多摩川沿いの自然や公園を活かした設計がなされ、人工的な都市空間でありながら、緑豊かな景観が保たれています。

また、駅前の「二子玉川公園」や「多摩川堤防エリア」は、住民や観光客の憩いの場として整備され、街の魅力をさらに高める要素となっています。

進化は今も続く

現在でも、二子玉川では新たなプロジェクトが動いています。2025年以降にはさらなるオフィス棟の開発や、地域コミュニティを強化するための市民施設整備も計画されており、街は進化を止めていません。

また、災害リスクや都市防災の観点からも対策が強化されており、安心して暮らせる都市環境が整えられつつあります。

まとめ:歴史を知ると、街がもっと好きになる

一見、スタイリッシュで新しいイメージの二子玉川も、実は50年以上の歳月をかけて丁寧に育てられてきた街。
再開発は単なる「建て替え」ではなく、地域の価値を高め、人の流れや暮らし方までデザインする壮大なプロジェクトだったのです。

歴史を知ると、普段何気なく歩いている街の見え方もきっと変わるはず。
二子玉川は、これからも住みやすく、進化し続ける街として、多くの人を惹きつけていくことでしょう。