たまプラーザは、神奈川県横浜市青葉区に位置する住宅地で、近年は「住みたい街」として人気が高まっています。その背景には、東急電鉄による「田園都市構想」という一大プロジェクトの存在があります。本記事では、たまプラーザがどのように誕生し、発展してきたのか、その歴史とともに、田園都市構想の全体像を振り返ります。
田園都市構想とは?
田園都市構想は、19世紀末にイギリスの都市計画家エベネザー・ハワードによって提唱された「Garden City(田園都市)」の思想を基にしています。都市の雇用機会、社会的交流、娯楽、農村の自然の美しさ、双方のメリットを共存させるバランスのとれた都市づくりを目指す考え方です。
日本では、東急グループの創業者・五島慶太がこの構想に影響を受け、1930年代から「多摩田園都市計画」を推進しました。この構想は、単なる住宅開発ではなく、住宅・教育・商業・交通・自然が一体となった街づくりを志向しており、のちの東急線沿線の開発につながっていきます。
たまプラーザ誕生の背景
1966年、東急田園都市線が開通し、たまプラーザ駅が開業しました。この時期の日本は高度経済成長期の真っただ中。東京の人口増加に伴い、郊外への居住ニーズが急速に高まっていました。東急はこれをチャンスと捉え、「田園都市構想」の中核としてたまプラーザの開発を本格化します。
東急がこの地域を開発するにあたって注力したのは、「計画的な街づくり」でした。無秩序な住宅乱立ではなく、都市計画に基づいた道路配置、商業施設、教育機関、公園緑地などを計画的に配置し、バランスの取れた生活環境を整備したのです。今では当たり前の「トータルな街づくり」を、日本でいち早く実現したモデルケースといえるでしょう。
駅前再開発とブランド化
たまプラーザの特徴のひとつに、駅周辺の整備された街並みがあります。2000年代に入ってからも、たまプラーザ駅周辺の再開発は継続しており、特に2009年に「たまプラーザテラス」が開業したことで、商業施設としての魅力がさらに高まりました。
再開発ではバリアフリー化や歩行者導線の最適化、景観保全などにも配慮されており、子育て世代や高齢者にも暮らしやすい街づくりが進められています。結果として、たまプラーザは「閑静で上品な住宅街」というブランドイメージを確立し、現在も不動産価値が高く安定した人気を誇ります。
教育・自然・文化の調和
たまプラーザの魅力は単に住環境だけではありません。駅周辺には大学附属の中高一貫校や私立の教育機関も多く、教育水準の高さが注目されています。また、公園や緑地が多く、鶴見川沿いには散歩道も整備されており、自然を身近に感じられる環境が広がっています。
さらに、文化施設も整備されており、地域コミュニティが活発なのも特徴です。こうした「住みやすさ」の総合点が、たまプラーザの高評価につながっているといえるでしょう。
まとめ
たまプラーザは、単なる住宅街ではなく、理念に基づいた都市計画「田園都市構想」の実現モデルとして誕生した街です。都市と自然、生活と文化が融合するようなこの街は、今後も多くの人々に選ばれ続けることでしょう。
そしてこの街の発展の裏には、「未来を見据えた街づくり」を行ってきた東急の構想力と、それを受け入れてきた住民の意識の高さがあったことを忘れてはなりません。
たまプラーザの歴史や街づくりを理解した上で、住環境や治安、交通アクセスなどもチェックしておきたい方は、以下の記事もぜひ参考にしてください。
【2025年版】たまプラーザの住みやすさ・治安・アクセスまとめ